新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

幸せを感じる力も、資質能力のひとつ?

「この町に来たことは、私の絶望だ」

やっかいな新採用の言葉。

「この町にいると、個人情報が守られない」
「この町のシステムは古い」
「保護者との関係が近すぎて嫌だ」
「土日に行事が入るのはパワハラだ」
「私は年休が少ないんだから、そんなことで休みを使いたくない」
「親子行事を休みの日になんて行ってられない。行くって行っておいて、ドタキャンしてやる」
「私には自分の時間がないと、心がやられてしまう」

もはや、「この町」に関係のない不平不満。

おそらく、この人はどこに行っても同じことを言うのだろう。



幸せや不幸せは、何かと比較しないと感じることができない。でも、その比較対象は自分自身でしかない。他の誰かと比較しても、幸せを感じとる基準が違ければ、それもまた変わってきてしまうのだ。

つまり、私が「幸せ」と感じても、その人にとっては「不幸せ」だということが大いにあるということなのだ。

そう考えると、小さなことでも「幸せ」と感じることができる人こそ、「幸せ者」なのかもしれない。

「この町は人の温かさを感じる」
「山間部の文化を学べる」
「自分の知っている世界との比較ができる」
「今、この町に来なかったら、一生来ることはなかっただろう」

なんでもいい。自分にとって、どうよさを解釈したり感じたりすることができるか。

そのような、その時その時のよさを感じることができなければ、おそらくどこに行っても不幸せなままだろう。

新採用の先生は、かわいそうな人だなぁと思う。一生幸せを感じることができず、不幸せな部分しか受け取ることができないんだろうな。

そう考えると、幸せを感じる力も大きな資質能力のひとつなんだろうな。

怖いのは、何をしても幸せを感じられない人に教えられている子どもたちがかわいそうでならない。