新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

中学生の服装と小学生の名札から思うこと

私の住む都道府県は変わっている。

中学生の服装が、学校の運動着なのだ。

放課後はもちろん、休日のスーパーマーケットも学校の運動着。街中のアーケードも運動着で歩いている。

そういう私も中学生のとき、運動着で過ごしていた。それはある種のステータスのようになっていたのかもしれない。「中学生になったら、学校の運動着で過ごすことができる」という、訳のわからないステータスだけど・・・。

でも、そんな不思議な格好も高校生になると終了する。街中どこを探しても、高校の運動着でブラブラしている高校生はいない。


この中学生の運動着で過ごすことについて、恥ずかしさだけではなく、もう一つ重要な点で懸念をもっている。



私が小学生のころは、学校の名札があり、朝家で名札をつけて学校へ行き、学校から帰ってきたら名札を外す。これが当たり前だった。私の通う小学校の名札には無かったが、血液型まで書いてある名札も多く見られた。


そんな名札も、私が教員になったばかりの頃(15年くらい前)には、状況が変わっていた。名札はあるが、家でつけるのではなく、学校に来てから名札をつけて、学校で外してから家に帰るのが当たり前になっていた。今では名札自体がない学校も多い。


その理由は防犯である。名前が書いてある名札をつけて堂々と街中を歩くことは危険である世の中になったということ。不審者がその子どもの顔と名前と家を一致させることができてしまう。本当に悲しい世の中になってしまったが、それが現実である。



でも、ここでおかしなことに気付く。

中学生は、堂々と名前入りの学校の運動着をきて街中をブラブラしているのだ。その子どもの顔と名前と学校と家を社会全体に示しているのである。しかも、中学生になると行動範囲も広くなり、危険度は何倍にもなる。


認識のズレか?同じ職種、義務教育の学校においてもこうも防犯上の考え方にズレがあるのが驚きだ。小学校でいくら個人を特定されないようにと取り組んでも、中学校でこれほど防犯に関する意識が甘いと、意味がない。


まあ、学校の運動着で街中を恥ずかしげもなく堂々と歩いているのは、うちの県くらいかな?