新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

承認欲求

昨日は、承認欲求について話題にした記事を書いた。

昨日は、上記のような記事を書いたが、承認欲求は決してマイナスではない。

「尊敬・自尊の欲求」ともいうようであり、自己肯定感、自己存在感を得ようと思うことは極々自然なことである。自分を価値ある一人として認識しようとすることは必要なことであり、それがないと非社会的・半社会的な行動に出てしまうことだって考えられる。

なので、承認欲求は自分自身の生きるモチベーションになる。でも、それが強すぎると、自分自身の地位ばかり気になりすぎて、結果的に自分を追い込むことになってしまう。


埋め込みの記事にある(過去記事も含めて)話題の人は、それが異常に強いのかもしれない。承認欲求が強すぎるあまり、自分を否定されると、これまた異常なまでに攻撃的になる。「私はがんばっているのだから褒められたり認められたりするはずだ」「なのに誰も褒めてくれない」「褒めてくれないばかりか、否定までしてくる」「だから、同僚たちは悪者だ」「ちゃんと自己主張して、みんなに分かってもらわないといけない」「貶してでも、ちゃんと言って聞かせなきゃ」となるのかもしれないな。

でも、同僚たちだって、その人のために働いているのではない。勤務している学校の子どもたちのために成果と課題を見出し、できるだけよい教育を子どもたちに提供しようと一生懸命なのだ。それが共同研究だ。

だから、急にその人に訳もわからず貶されたり、泣かれたり、さらし者のように文句を言われたり、話し合いを放棄されたりしたら面白くなくなる。そしてより一層、その人に対してマイナスな目で見るようになるだろう。
現に、昨日、その人が帰ったあとは、その人に対してあまりいい話題にならず、一気に雰囲気が悪くなった。


「承認欲求」について、こんなこともいえるらしい。それはとくに幼少期に愛情不足で育つと、承認欲求が強くなる傾向があるということだ。検索エンジンで「承認欲求」と入力すると、「承認欲求 愛情不足」と予測変換される。

幼少期に親の無償の愛を受けずに育つことが、大人になって強い承認欲求が顕示されることがあるというのだ。


もしかすると、その人はかわいそうな育てられ方をしてきたのかもしれない。となると、その人に真っ当なことを言ったり返したりしたところで、ますますマイナスになるのが予想される。でも、だからといって、我々はその人のために働いているのではない。だから、必要なことは伝えないといけない。

みんなその人に共感しているつもりはあるのだが、ちょっとでも(その人にとって)否定的な考えや意見を受けると、我を忘れてしまうようだ。本当に情緒不安定な感じがよく分かる。たまに、それが子どもに対しても出ることがある。


なかなか難しい問題だ。このままだと、その人は同僚たちから孤立してしまうだろうし、それを自分からも進んで孤立に向かっていきそうだ。