新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

誰しもが「特性」をもっている【発達障がい】

先生方は時に、

「あの子は絶対に何かをもっている」

といったことをいう。落ち着きがない子どもや、いうことを聞かない子ども、勉強の理解がゆっくりな子ども、自分の世界観をもっている子ども、等々、そんな子どもは何かしらの「発達障がい」があるのではないかという話だ。

以前の私も正直そういうことを言っていたなと思い返す。

今ではそういう発言を聞くと違和感を抱くようになった。そもそもそういう子どもに何か発達障がいがあったとして、その事実は変わりなく、そこに文句を言ったり、愚痴をこぼしたりしたところで何も意味をなさないのだ。



娘が4才のころ、私と娘でトランプの「神経衰弱」ゲームをやったことがある。私は、本気でやったのだが、4才の娘に負けた。

私は、「神経衰弱」が大の苦手だ。カードの配置がまったく覚えられないのだ。視覚的にイメージして覚えるということに大きな欠陥を抱えている(今回はあえて「欠陥」という言葉を使う)。なので、そろばんの暗算もできない。一定時間絵を見せられて、何が描いてあったか答えるという問題もできない。その手のクイズ番組を見たりゲームをしたりする際に、私のあまりのできなさに妻も子どもたちも「本当に分からないの?」と呆れてしまっている。私がふざけているように見えているらしい。

そう考えると、私も「何かを確実にもっている」。絶対に「発達障がい」だ。


息子は生まれつき歯が形成不全であり、前歯が少ししかない。永久歯が生えてくるかどうか不安を抱えている。そういう息子も「何かをもっている」。歯が形成不全のため「発達障がい」だ。


娘は人以上に恥ずかしがりやだ。人前でなかなか表現することができない。だから娘も「何かをもっている」。陰気なところがあるため「発達障がい」だ。


そういえば、◯◯さんだって、、、□□さんも、、、△△さんは、、、。
だから、みんな「発達障がい」だ。


誰にでも、苦手なところや不完全なところ、不得意、性格上のこと、、、人と比べ、「劣っている」と思われてしまうところがあるだろう。

それは、「欠陥」なのだろうか。特別支援教育ではそういうところを「特性」とよぶ。誰しもが、人とは違う「特性」をもつ。だから「何かをもっている」のだ。「特性」は病気ではない。だから治すことはできないのだ。その「特性」を自分自身が理解し、周りの人たちが理解し、じゃあどんな学習の仕方をすればいいか考えたり、支援の方法を相談したり、その人に合う生き方や将来等を考えたりすることが必要になる。


私はイメージして記憶することが小さな子ども以上に苦手だが、長期的に記憶することは大の得意だ。一度覚えたことはほぼほぼ忘れないため、定着する。そんな「よさ」もある。それは、私の「特性」を理解したからこそ気付くことができた他の「特性」かもしれない。


「あの子はできないからだめだ」じゃなくて、「あの子はこういうことが苦手だろうから、どういったかかわりをしたらよいか」ということを、相互理解の上で進めることを考えることが大切だなと思う。