新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

失敗の授業とは

研究公開が迫る中、授業者の先生は授業を失敗したくないと焦っているようだ。

上手くいく話し合いのためにはどうしたらいいか。仕掛けは?仕組みは?根拠は?見取りは?様々なことを悩んでいる。


その前に、そもそも失敗の授業とはどんな授業なのか。

おそらくBBAたちは、「指導案通りにいかない授業」とか「思った通りの子どもの姿が見られなかった授業」と答えるだろう。だから、レールを敷くし、シナリオを用意するし、自分の期待する子どもしか発表させないだろう。
いや、そもそもBBAは授業をしないか。


残念なことにそのような授業こそ「失敗した授業」であり、勤務校の先生たちの授業に失敗はない。


大事なのは、授業の意図である。指導者が意図さえしっかりともって授業をすれば失敗するはずないのではないか。もし、指導案通りに授業がいかなければ「自分の想定していた以上の子どもの姿が見られた」とか「思っていたよりも子どもの思考が追いついていなかったため、課題が難しかった」とか、成果や課題が生まれる。その時点で失敗ではない。むしろ、指導案通りにいかなくても、子どもがそれ以上の姿を見せてくれたら大成功だ。思った通りに進まないから、面白いのだ。先生の期待の上を行くのが子どもだ。


大体、指導案通りに進む授業こそ、気持ち悪い。シナリオを用意していれば、すぐにバレる。レールを敷いた授業はすぐ分かる。それに気付かないで30年以上も教師まがいのことをして高い給料を貰っているBBAの存在こそ、採用した教育委員会の大いなる「失敗」だと思う。


勤務校の先生方は、みな自分の意図をもって授業を語っている。私の意地悪な質問にも、しっかりと思いをもって答えてくる。だからその先生の授業は失敗はしない。

今日も、気付いたらみんなか集まって授業を考えてくれていた。そんなすばらしい教師集団はなかなかない。だから、絶対に失敗はない。