新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

1/70単位時間の授業をつくるのではなく、70単位時間をつくっていくのだ

研究公開では、総合的な学習の時間の授業を公開する。いよいよ授業者は追い詰められている。「導入は」「発問は」「どうコーディネートするか」「どうやって見取るか」「盛り上がらなかったらどうしようか」「時間は」不安はつきない。

でも、別の見方をしてみる。

総合的な学習の時間の時数は70単位時間。年間70単位時間あるということは、単純計算で週あたり2単位時間は授業をしているということ。でも、週に2回も、上記のような悩みを口にはしていない。

研究公開を目の前にしたからこそ出てくる悩みや不安だ。でも、総合の授業は研究公開の日だけではない。これまでだって総合の授業をしてきているのだ。でも、そこまでの悩みや不安をぶちまけてはいない。


つまりは、これまでの授業をどうしてきたかということ。もっといえば、「1/70単位時間の授業をつくるのではなく、70単位時間をつくっていっている」ということだ。

もし、1/70単位時間の授業をつくろうとしているのならば、その授業はいくら考えても、いいアイデアを思いついても、どんなに「いい授業」に見えたとしても、それはなんの価値もない。総合で身に付けたい資質や能力は1単位時間で身に付くようなものではない。その時間その時間、少しずつ少しずつ力がついてくる。そして70単位時間の学習で、目指す子ども像に近づいていくようにするものだ。

逆に、70単位時間をつくっていっている感覚で普段から授業を考えていれば、自ずと授業は進んでいく。子どもたち自身がやるべきことが分かってくるから、自然と子ども主体の授業になっていくのだ。そうすれば、いつもの授業と同じ気持ちで授業をすれば、極々自然な授業になる。


研究公開に向けて、各教室や廊下の掲示物などが完成した。どの学年も全く苦労せずに設営したようだ。それは何故か。研究公開のために掲示物をつくるのではなく、これまでの授業で創りあげられてきたものを掲示したに過ぎないからだ。

これが意味することは、本校の先生方は「生活科102単位時間(1年生)、105単位時間(2年生)」、「総合的な学習の時間70単位時間」をしっかりとつくっているということ。

ちゃんとこれまで考えられているということだ。ということは、何か変わったことをすべきではなく、いつもの授業のままでよいのだ。まあ、多くの参観者がくるから、少しくらいプラスワンを考えればいいのではないか。


ということで、いい意味で気楽にいきたいねぇ。