新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

自分を大切にするということは

ある飲み会(職場の飲み会ではない。が、広く見ると、仕事上どこか関係してくるような飲み会)に誘われた先生(例の先生)が、「私、疲れてヘトヘトだからいかない」と、断っていた。
おそらく、勤務時間が過ぎてまで、そういう人たちと関わりたくないというのがあるのだろう。

まあ、勤務時間が過ぎてからの過ごし方は自由だ。信用失墜行為をしなければ、何していてもよい。だから、飲み会に行く行かないは自分が判断することである。


ただ、自分がその判断をしたのだから、その後に及ぶことも自分でなんとかしなければならない。

その先生はよく「自分の時間を大切にしたい」という生き方をしている。だから、自分が気を遣ってまで人に合わせたり、慣例にしたがったりしない。そして、人になんて思われてもいいという。


でも、それが本当に「自分を大切にしているか」といえば、それは疑問だ。一見、自分らしく生きている、自分をしっかりともっている、人に干渉されない、といった得な見方もできるかもしれないが、結構損しているなとも思ってしまう。


勤務する町は豪雪地域であり、間もなく雪に見舞われる。実は、今日の飲み会はとても大切な飲み会だったらしい。その先生が住む住宅の人たちとの飲み会だったらしいのだが、その中で住宅周辺の除雪の協力体制を話し合ったり、一致団結しようという決起集会のようなものでもあったりしたようだ。

そういう飲み会に顔を出さないということは、つまりはそういうことである。その先生だけ除雪の協力をもらえないということだ。声をかけてもらえないということだ。
どうやらそういう飲み会はすべて断っているらしい。

そのような視点で見ると、自分のプライベートのみに重点をあてて、他の人たちのかかわりをすべてシャットアウトしたり、人からなんと思われてもいいと、自分と違う考えをすべて否定したりすることが、果たして本当に「自分を大切にしている」のか。


ガマンして自分のプライベートを少し犠牲にしてしまうかもしれないが、人とのかかわりを大切にしたり、人に合わせたりすることで、あとあと自分に良いこととして返ってくることも多い。そういうつながりを大切にしていれば、困った時必ず助けてもらえる場面が来るのだと思うのだ。


結局は損得の問題なんだよなぁ。目先の得にしか目がいかないと、最終的に損してしまう。自分にとって都合のいいことばかりになる筈がない。それが社会性なのではないかと思うなぁ。