新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

働き方改革とは、働かない改革ではない

来年度の教育課程編成に向けての反省があがってくる(教務に)。

例の先生はいつでもネガティブだ。


様々な反省をあげてくるが、その端々に「働き方改革」という言葉が見られる。「『働き方改革』として、もっと◯◯を削るべきだ」とか「朝の活動をモジュールかして時数を計上し、6時間を減らして早く子どもを帰すべきだ」とか「地域との行事を見直していくべきだ」「もっと職員の負担を減らすべきだ」等々。でも、よく見てみると、「自分が大変だから」「早く子どもを帰して自分の自由な時間がほしいから」「地域とのつながりが面倒だから」といった、自分勝手な理由が透けて見える。

例えば、モジュールにした時の負担なんて考えていない。モジュールにするということは、1単位時間の授業を15分くらいに分けなければならない。どの教科等も標準時数があるが、それを1単位時間(45分)でてきない時間が増えるということ。そんなことができる指導力があるのか?適当に授業を進めるということか?結局、楽することしか考えていないのではないか。

「地域との連携」が重要視されている中、地域との時間を減らせという。社会に開かれた教育課程とは一体?


何をもって「働き方改革」というのか。それは「楽すること」ではないはず。自分たちの働き方を見直して、「子どもと向き合う時間を確保」したり「大切なことにもっと時間をかける」ことができるようにすることだと思う。つまりは「子どもたちのために」ということだ。子どもたちのために、我々も余裕をもたなければならないということだと思う。でも、この先生の主張には一切子どもはいない。となると、「働き方改革」ではなく、「働かない改革」になってしまう。


なんていっても聞かないからどうしょうもない。次の学校にいっても苦しむだろう。その次の学校にいっても苦しむだろう。いずれは辞めるしかないだろう。そして、どの職業についてもダメだろう。

ある先生が言っていた。

「本当に適応力がない人ですね」


その先生の苦しさは、おそらく無くならないだろう。