新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

QOLを考える

自分自身の生活の質。

今年度、この町に来ることになり、正直かなりの不安と絶望感に苛まれた。
何もない(と勝手に思っていた)町。絶対に踏むことはないと思っていた町。そんな勝手な偏見をもっていた町への辞令がおりたのだ。

でも、今ではとても感謝している。殆どの職員はとてもいい先生方ばかりで、活気もある。前向きな先生方に私は支えられている。
地域の方々も温かく、気付けば地域の方とのサークル的なものにもいつの間にか入っている。

単身赴任ということ、また買い物の環境の課題がなければ、とても申し分ない生活をさせていただいている。

つまりは、私のQOLはとても良好だ。

しかし、一方で、この地に赴任することになり、とにかくありとあらゆるモノやコトに対し、文句ばかりの先生もいる。

自分の主張が通らないことに対して、大声で不平不満をぶちまけている。地域の方とのふれあいも遮断し、先生方とも距離をおく。クラスの子どもに対しても文句ばかり。

つまりは、この先生のQOLはかなり低い。


同じ環境下にいて、この違いを生み出すものはなんなのか。QOLを整える要因はなんなのか。

結局は、その先生は、「物質的な豊かさ」にしか目がいっていないのだろうと思う。「お店がない」「知り合いがいない」「今までの文化と違う」「これまでの当たり前が通用しない」「私の願いを聞いてくれない」「寒い」「実家まで遠い」等々。でも、このような「物質的な豊かさ」にしか目がいかないと、どこまでも先が見えない。おそらく、上記に挙げたものが「豊か」になったところで、その先生のQOLは向上しないだろう。それは、「お店があったら本当に幸せなのか」「知り合いがいたら本当に幸せなのか」「これまでの文化と同じになったら本当に幸せなのか」「自分の当たり前が通用したら本当に幸せなのか」「自分の願いをなんでも聞いてもらえたら本当に幸せなのか」「寒くなければ本当に幸せなのか」「実家に近ければ本当に幸せなのか」などと問い直したら、すぐに「そうではない」ということが分かるだろう。つまり、その視点で自分の理想を考えていては、どの環境下にいてもその人のQOLは向上しないのだ。


物質的な豊かさではなく、心身の豊かさを求めていくことが大切である。そのためには、自分にとって「何を幸せとするのか」を自分で考える必要がある。そしてそこにはおそらく、自分以外の他人の存在が影響するはずだ。それは、他人を思い通りコントロールすることではない。なんでもいうことを聞いてもらえることでもない。文句を言われないということでもない。自分に賛同してもらうことでもない。
それは、「自分が自分以外の人、もの、ことなどに対して、自分なりのよさを感じ、『自分にとっての幸せ』に照らし合わせること」なのではないだろうか。