新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

「来たい」じゃなくても、「来たくなくない」でありたい

一度、不信感と苛立ちが自覚化し、明確化すると、そこからの動きは早い。
面談というオフィシャルな場で自分の気持ちを第三者、しかも上司に語ることで、先生は自分の気持ちに正直になることができたし、自分がどんな思いを抱いていたのかも明確になった。そして、自分の気持ちが間違いではないということも分かった。

そうなると、どんどんと先に進む。良い悪いはおいておいて(私は良いと思うから応援もするし、冷静に味方にもなる)、正面からぶつかる(まあ、本当に正面かというとなんともいえないが)。

事の発端は、朝、まず例の先生がふっかけてきたことから始まるようだ。校務分掌について、難癖をつけてきたのだが(勝手に進めて、自分の意見を聞いてくれないなどといっている。そもそも意見もなにも、寝ているし、文句ばかりで主体的でも意欲的でもないため、筋は通らないのだが)、いつもだったら、難癖をつけられた方は「すみません」とか「意見を聞かせて」などといって寄り添ってきたところを、ついに、その寄り添いの箍は外され、爆弾となって返ってくることになったのだ。

不平不満に明け暮れる先生は、思いもよらぬカウンターパンチに遭い、その場でノックアウトされ、大泣き、教室にいけなくなり、校長室へということになる。

いろいろと大変なことにもなったが、私としては、正しい先生が自分の気持ちをぶつけられたことがよかったと思っている。私がぶつけると「パワハラ」になるが、同じ立場の人から言われると、「パワハラ」にはならず、そのままのダメージとしてふりかかる。校長先生に話を聞いてもらっても、結局は納得しなかったらしいが、それも人間性。味方はいないということだ。


そして、放課後、正しい先生から相談を受けた。面談では言えなかったことや、この日のことなど結構長い時間話すことができた。

そこで聞かれた「私だって(学校に)来たくないけれど、仕事なんだから、来ています。でも、あの人が『学校に来なくなると困るから』といって、あの人の顔色をうかがって、腫れ物を触るかのような優しい態度で接されるのはおかしい」という言葉にハッとさせられた。その先生は教職員はいい人ばかりで、こんなに雰囲気がよいところは滅多にないと思ってくれていると思う。でも、ある一人の人のせいで、「学校に来たくない」になってしまっているのだ。「来たい」学校にすることはなかなか難しい。それは仕事だから。でも、一人の人のせいでよい雰囲気をすべてぶち壊されていることに、危機感と無念感を覚える。せめて「来たくなくない」にしたいが、このままだと難しい。とにかく私は先生に寄り添うことしかできない。。。