2年生の娘が1年生をつれて、今日学校探検をしたらしい。
前から「4月18日にやる」といっていた娘の話に、そもそも疑問をもっており、それこそ前から私は「本当にその日なの?やらないと思うよ」などといって、娘を疑っていた。だってこの日は『全国学力・学習状況調査』の日。6年生は大事なテストを受けているはず。でも、昨日の夜も「明日(18日)やるよ」と言っていた。
帰ってから話を聞くと、本当にやったらしい。詳しく話を聞くと、呆れて言葉がでない。。。
娘によると、
「3階(5、6年生のフロア)と4年生のところは行っちゃだめだった」
「9時55分までって言ってたのに、9時40分までになっちゃったの」
とのこと。
私は娘に、
「何で学校探検したの?」
と聞くと、娘は、
「わかんない」
とだけ答えた。
いったい何のための学校探検なのだろうか?おそらく「毎年やっているから」くらいの目的なのだろう。教師がちゃんとねらいと願いをもっていなければ、子どもの思いを高める仕掛けも何もするはずがない。だから、こんな日に平気で学校探検を位置付ける。こんなことだから、子どもの思いも高まるはずもない。「先生に言われたから何となくやっている」といったところだろう。
学校探検は1年生のためだけではない。2年生にとっても大きな意味がある。
- 1年生に教えるために、もういちど自分たちの学校のよさに気付くこと
- 1年生の思いに寄り添うことで、なかなかうまくいかないことに気付くこと
- 自分たちもこうやって教えてもらったということに気付くこと
- もっとうまく教えたいという思いを高めること
- 自分たちも1年生に優しく教えることができるといった、自分の成長に気付くこと
- これからも、教えた1年生と触れ合いたいというような思いを高めること
- 「次は何をしたいか」という、自分なりの思いをもつこと
などなど、たくさんの意味を見いだせる。教師は、目の前の子どもの思いを見取り、実態に合わせてねらいと照らし合わせた方向付けを図る必要があるのだ。
目的のない、ただやるだけの生活科は本当にもったいない。生活科でやったことが生活化していくことが大事だ。だから、学校探検が自分たちの学校生活に生きていくようにならないといけないのだ。