今日は娘の学校の土曜参観日。
いつもながら、残念だなぁと思ってしまう。
娘の担任に対する私の感情が、ハナっからよくないため、あらゆることがマイナスに見えてしまうということもある。これはよくないこと。娘の担任の良いところをもっとみつけなければと思うがなかなかそうはいかない。マイナスに思い過ぎている。苦情など伝えないが、自分で「モンスターペアレント」かもしれないとまで思ってしまう。
私の中で「ゴーレム効果」を引き起こしてしまいそうで尚更恐い。
http://www.truth-teacher.com/entry/2017/02/07/202356
今日の授業は英語。
昨日の夜、娘が、
「明日の英語は『〇〇先生』(ALTの先生のこと)がいないんだよ」
と、言っていた。
英語。どうしてもALT任せになってしまいがちだ。これは、どの学校にも起こり得る大きな問題。教科化を迎えるにあたり、喫緊の課題である。
がしかし、今回は別の視点から考えてみる。
私は少しの期待を込めて娘に聞いてみる。
「『〇〇先生』がいない英語もやってるの?」
娘は、
「やったことないよ。明日、先生だけの英語は初めてだよ」
とのこと。私は、
「やっぱり」
と、少しの期待を込めたことを後悔する。
授業参観は、教師もそうだが子どもたちにとっても特別な日である。
また、保護者にとっては、普段の子どもの様子を知るいい機会でもある。
なのに、今までやったことがないことを、この授業参観でやるということが信じられない。
そんなに自分の授業に自信があるのか?そうであるならば、もっと子どもたちをよく見てほしいと思う。娘は直接的な言葉にこそしないが、その背景にある思いを見取ると、結構な不満をもっているように感じる。
それに、子どもたちにとっても保護者にとっても、失礼なんじゃないかなとも思う。本当にその授業で子どもたちのいつもの姿が見られるのか?授業参観なのだから尚更緊張もするだろうし。
という感情をもって参観しにいく。
その結果。
今日は「野菜」の学習。お店屋さんとお客さんに扮してやりとりをする授業。
うーん、やっぱりよく分からなかった。娘のやる気のなさもあるかもしれないが、とにかく先生がよくしゃべる。
職業柄、そういう見方をしてしまうのもあるかもしれないが、結局何を学ぶ時間だったのかよく分からない。
野菜の英語での言い方を覚えるのか、注文の仕方を覚えるのか、お店屋さんの対応の仕方を覚えるのか、はたまたすべてなのか。様々な野菜の英語での言い方を始めにたくさん練習していたからやはり、それか。それにしては、子どもたちはみんな『tomato』を注文する(簡単だからだと思う)。そこに先生の手立てが入らなければならないと思う。だから、普段やっていないとできないのである。
とにかく、子どもたちに活気がない。それは私の見方がそうなってしまっているからか。
でも、悪い見方だけでは自分としても嫌だ。いいところも探す。
いいところ。教室の掲示かな。子どもの作品や子どもの作ったもの(かいたもの)で学びの様子が飾られている。
これを上手く生かせばいいのになぁ。。。