最近、何かに焦りを感じているような気になっている。何に焦っているのかは自分でもよく分からないのだが、何かに気をもんでいるのである。
焦っていると、結果ばかりを求めてしまうようになり、物事の本質や大切にしたいことなどを見失ってしまいがちだ。そこに向かう過程やそこに込める思いなどが蔑ろになってしまう。
例えば、今校内の絵画展の絵の締め切りが迫っている。締め切りまでに終わらなそうな子もいる。自分としては限られた図工の時間内で終わらせたいのだが、実際はそうはいかない子もいるのが現実。すると、私にも子どもにも焦りが生まれる。するとどうなるか、
T「遅れてるよ!早く!」
T「休み時間や放課後にやりなさい」
となりやすい。子どもの立場でも、
C「この色でいいや」
C「放課後はやりたくないから、チャッチャと終わらせなきゃ」
とかになる可能性も。
となると、絵は完成したとしても、ただ、それだけで終わってしまうのだろう。何のために終わらせたのか、それは終わらせるために終わらせたということになってしまう。「その子の絵」がいつの間にか目的くら外れてしまうのだ。
これは、生き方にも同じようにいえると思う。「早く一人前になりたい」「あいつに追いつきたい(追い越されたくない)」などと思うときに、その結果ばかりを求めてしまうこともあろう。例えば、本質を蔑ろにし、過程を軽んじて一人前になったとする。すると、築きあげたものがない中一人前になってしまうことになるため(正しくは一人前になった気になるため)、一人前としての仕事を求められた時に、自分自身が困ることになるのだ。
とすると「どうしてそうしたいのか」「どうしてそうしなければならないのか」「そのために何が必要で、どう取り組まなければならないのか」「その後はどうあるべきか」等々、考えていかなければならないのだと思う。
そしてそのためには、やはり立ち止まらずに進んでいかなければならないと思う。何かを求める過程の中で、得るものや力になるものが多いのであろう。