今日は給食のご飯がたくさん残ってしまった。去年までもった子どもたちよりは食べる気がするが、高学年になり量も増えたようで、なかなか食べきれないこともあるようだ。
そんな中、こんな話を耳にする。
「◯◯さん(君)が『△△を残していいですか?』って聞いてきたんだけど、理由を聞くと『嫌いだからです』って言ってきたから『食べなさい』って言ったんだよ」
という話。
確かに、嫌いなものも食べることは悪いことではない。何でも食べられるようになることは、大人になった時にとても助かることでもある。
でも、、、、、
どこか引っかかるところがある。
「食育」という言葉が聞かれるようになり久しい。
しかしながら、正直この「食育」について、あまりよく分かっていない。文部科学省のサイトを見てみた。
それによると、食育で身に付けることには
- 食べ物を大事にする感謝の心
- 好き嫌いしないで栄養バランスよく食べること
- 食事のマナーなどの社会性
- 食事の重要性や心身の健康
- 安全や品質など食品を選択する能力
- 地域の産物や歴史など食文化の理解など
と結構多岐にわたっている。でも「残さず食べさせること」は2番目にある「好き嫌いしないで栄養バランスよく食べること」に合致する。
でも、、、、、
やはり引っかかる。
いやいや食べることは「食べ物を大事に」しているのだろうか。「感謝の心」をもつことができるのだろうか。今は嫌いで残してしまっても「食べられなくてごめんなさい」という気持ちや「少しでも食べたよ」という思いがあれば「食べ物を大事に」している、もしくは「大事にしようとしている」といえるのではないかと思うのだ。
でも、それではいつまで立っても食べられるようにはならないかもしれないし、そういう気持ち(「食べられなくてごめんなさい」などと思うような気持ち)ももたないかもしれない。
そう考えるとやはり難しい。
結局は、給食だけで「食育」を考えることは不可能であり、好き嫌いをなくすことも、食べ物を大事にすることも、食文化を知ることも、すべてにおいて家庭での「食」の在り方が、軸になり、ベースとなるのだと思う。
今は「無理やり食べさせないでください」という家庭もあるし「おかわりはさせないでください」と言われることもある。
それぞれの家庭での異なる考え方のもと、学校では上記にあげたような「食育」で大切にしたいことを伝えることしかできないのだと思う。