「高学年は怖い」
先生たちからよく聞く話だ。大人びてだんだんということを聞かなくなり、学級が成り立たなくなるのではないかという心配からだろう。
確かに、だんだんと生活の知恵などが働き、低学年で通用してきた、「ごまかし」はすぐに見破られてしまうようになる。先生の弱みにつけ込むことだってあり得よう。また、一人の不満をグループや集団で共有し合うことで、学級の集団性が別の方向を向いてしまうようにもなるかもしれない。
でも、いわゆる「学級崩壊」は、高学年だけでなく、どの学年でも起こっている。そして、それはむしろ「低学年」に多いということもよく聞く。
つまり、どこをもっても学級崩壊をさせてしまうことだってあるし、運もあるかもしれない。また、学級崩壊を起こしてしまう先生はどの学年でも崩壊させてしまうのではないかと思うのだ。
怪しい先生のクラスは決まって、子どもたちに覇気がない。生き生きとしていない。死んだようなクラス集団になっている。
あるクラスは、子どもたちは先生の操り人形のようにしか動けず、自由な発言は許されない。間違いも許されないため、誰も何も言わない。そんな集団でもし誰かが学級崩壊のスイッチを押したら・・・。それは、1年生だって同じだろう。むしろ、1年生の方が善悪の判断がついていない分、恐ろしい。一気にガタガタといくだろう。。。
高学年の子どもたちは、知恵がついている分、怖さもあるが、様々なことを理解しているため、やりやすいところも多い。
それに、高学年といってもそんなに大人びておらず、こちらが思っているよりもだいぶ幼い。
昨日は職員会議があった日である。
普段子どもたちはさようならをしたあと、グズグズしていて、なかなか教室を出ない。職員会議がある日は特に早く帰ってほしい。そこで、昨日は「今日は1年生になろう」ということで、さようならの前に教室の後方に並ばせ、1年生のように一斉にさようならをさせることにした。みんな「なんだか懐かしい」といいながら素直に並んだ。そこで、さらに追い打ちをかけるように「先生にさよならタッチをしてから帰るように」と話す。教室を出る際に、私にタッチをしてから帰らせるようにしたのだ。
高学年の子どもたちだから、嫌がる子もいるだろうなとある意味の覚悟をしていたが、みんな喜んでタッチして帰っていった。それを見ていた隣のクラスの子どもたちにもタッチをせがまれた。
高学年の子どもたちこそ、もっと楽しいことを求めているのだと感じる。そして、先生とのかかわりも求めているのだと改めて思う。毎日、いろんなことを考えさせられるなぁと思った。