授業中、自分の考えをもてない(もとうとしない?それとも、もっていてもそれを表出しようとしない?)子どもが少なからずいる。
めあてをかいた黒板をノートに写し、そのまま待っている子。そして、友達が発表した考えを私が黒板に書き、それをまたノートに写す。
ノートだけを見ると、一見勉強したように見える。でも、これはあくまで友達の考えであって、その子の思考過程ではなく、その子の学びに繋がっていない。
間違えるのが怖くて、自分の考えを表出できないのだ。それが習慣化し、終いには考えるということをやめていってしまう。友達が考えてくれて、先生が黒板にその考えを書いてくれるから、写せばいいのだ。
それはある意味麻薬だ。黒板をノートに写せばある程度の知識・技能は身に付く。分かりやすくいえば、算数の計算問題は解けるようになる。
でも、これからはそれらを活用する力をつけなければならない。「思考力・判断力・表現力等」が大切になってくるのだ。変化の激しい社会を生き抜くには、単なる「知識及び技能」が身に付いているだけでは足りない。これから出合いまくる「正解のない問い」に立ち向かう力が必要なのだ。自分で考えて、当たったとしても間違えたとしても、なぜそうなのかについて追究していくことに大きな意義があるのだ。
そうやって、自ら動き出せば(思考力・判断力・表現力等を働かせれば)出すほど、失敗もするだろう。でも、その失敗こそが大切なのだ。
黒板を写すだけの子どもは、失敗すらできない。間違えることを怖れるあまり、大きな大きな失敗をしているのだ。
学習するのは友達ではなく、あくまでも自分自身。新学習指導要領でもちゃんと述べられている。「学びに向かう力・人間性」。
なかなか伝わらないなぁ。一切板書しないでみようかな。。。