息子5才。
言葉の拙さがとてもかわいい。
少しずつそんな拙さがなくなっていくのは、成長を感じるとともに、さみしさも覚える。
息子が幼稚園で仲良く遊ぶ子の一人がインフルエンザで休んだとのこと。それを一緒にお風呂に入りながら、一生懸命教えてくれる。
「R君がインフルエンザで休んだよ」
「でも、I君は休まなかったよ」
「K(自分のこと)のクラスが一番休みが多いんだよ」
「明日はS君がふっかちゅ(復活)するよ」
などとマシンガンのように話が続く。
そんな中、
「これでI君までインフルエンザになったら、もう鉄棒だよ」
と話す。
一瞬「?」となったが、すぐに息子の言いたいことが分かった。
それは、
「絶望」
という言葉だ。
「絶望」とは大げさだが、なんとなく雰囲気は伝わるし、言いたいことは分かる。
仲良しの友達が休みだと悲しいということを、5才の息子は「絶望」という言葉で表したのだ。
どこでこんな言葉を覚えたのか不思議だが、それを息子なりの場面で使おうとしているところに日々の生活を広がりを感じる。
こうやって少しずつ語彙力を高めていくのだろうなと思う。
そういえば、さっきは千円札を集金袋に入れる様子を見て「シヘイがなくなっちゃうね」などといっていた。誰が「シヘイ」などという言葉を使ったのだろう?