困っていたり、悩んでいる若手の先生を見て、
「どうして相談してこないんだ!」
と、イライラしてしまうことがある。
また、
「早く相談してくれれば、こんな結果にならなくて済んだのに」
「もっと早く言ってくれたら」
と思ってしまうこともある。
先日、2年目の先生が、研究のまとめについて相談しにきてくれた。まとめの構成の仕方や、どんな観点で書いたらよいかということ、(途中経過を見せてきて)不必要な記述はないかどうか、ということなど悩んでいることを打ち明けてくれた。
私は現在、学校の研究のまとめへの取り組みと、その合間の出張とで、かなりてんてこ舞いになっている。簡単にいうと「超忙しい」のだ。
でも、2年目の先生から相談を受けて、
「この忙しい時に相談なんてしてくるな」
などとは一切思わず、むしろ、なんかうれしくなった。頼ってもらえているという気持ちになったのだろう。
いくら忙しくても、頼られると、自分自身の意義を感じることができ、嫌な気持ちにはならないのだ。
だからこそ、はじめに書いたように、相談してこない若手にイライラしてしまうのだ。なかなかまとめを出してこない初任者に対してなど特にそうだ。
でも、「それでは私自身はどうなのか」ということをふと振り返る。
思い返せば私も、同じようなことをよく言われてきた。研究で一人でいつまでも悩んでいたり困っていたりした時、先輩教員に、
「どうして相談してこないんだ!」
とお説教をされることもしばしばあった。
その時は、様々な仕事を抱え、忙しくしている先輩の先生方を見て、
「忙しいのに、相談したら申し訳ない」
という気持ちがあって、なかなか相談できずにいた。そういうことは今でもある。
「こんなことを相談したら悪いのではないか」
「手を煩わせたら申し訳ない」
などと思ってしまい、なかなか相談できずにいることも多い。
でも、最終的には、自分の力ではどうしようもなくなって、間に合わなくなる直前になって手を差し伸べてもらう結果に陥ってしまうのだ。
でも、おそらく先輩も相談されたら親身になって共に考えてくれるだろう。心配とは逆に嬉しいと思ってくれるかもしれない。
そう考えると、若手の先生たちも、もしかしたら私が忙しそうにしているのを見て、相談できずにいるのかもしれない。私のことを気遣ってくれている結果かもしれない。
相談したいのに相談できない後輩と、
相談してきてほしいのに相談されずイライラしている先輩。
どちらが悪いということはない。
お互いの思いにズレがあるのだ。
でも、お互いに何も言わないから、ズレたままである。
子どもたちに「交流」とか「話合い」とか求めるが、我々自身もできていないなと思わされる。
相談する勇気と、相談されやすいような雰囲気づくり。お互いに歩み寄りながら、しっかりと関わりをもっていかなければならないなと思った。