学級担任をしていたとき、保護者から、
「もっと宿題を増やしてください」
と言われたことが何度がある。
私は、
「宿題を増やすということは、そのチェックのための時間が増えることになるので、授業を考える時間が少なくなってしまいますよ(つまり、授業が疎かになってしまいますけど、それでもいいんですか?という雰囲気をプンプンだして)。」
と応えていた。そういうと、保護者は言葉に詰まる。
我々の仕事の要は「授業」だ。
でも、それを無意識に軽視されているのではないかと感じることがよくある。
私は授業で勝負したいなと思っていた。
でも、世の中のオバチャン先生たち(全員ではない)が職員室でしていることといえば、子どもの文句や、永遠の宿題の丸付け。
授業の準備や教材研究をしている姿は見たことない。
とんでもない量の宿題を子どもたちに課し、永遠に丸付けをし(授業中に丸付けをするオバチャンも山ほどいる)、やってこない子どもがいたら、放課後残して罵詈雑言を浴びせながら宿題をやらせる。
学習の理解が早い子どももゆっくりな子どもも関係ない。同じ分だけの大量のプリントやらドリルやら漢字練習やらをやらせ、それが学力向上につながっていると本気で思っているおめでたい人たちだ(子どもにしてみたらこれほどハズレに当たることはない。でも、なんともハズレが多いのも事実)。
そもそも、宿題はなんのためにやるのか。様々な考え方があると思うため、それを議論したらそれこそ永遠に終わらないと思うが、私が確かに思うのは、「宿題は先生に返すものではなく、子どもたち自身に返ってくるもの」ということである。
学校で学んだことで、よく分かった内容なら、発展的なことに取り組んで、より深い理解や次の学習意欲につなげたり、分からなかった内容なら、補充的なことに取り組んだりと、自分に合った学習をするものだと思う。だって、高校受験や大学受験のための勉強だって、自分に必要なことを自分で考えてやるではないか。
もう理解している内容のプリントを大量にやらされたり、まだ理解していないのに、大量に課されたり。それが意味があるかないかなど、考えなくても分かる。
確かに低学年のうちは、自分で学習内容を考えることは難しいだろう。だからこそ、低学年の先生はしっかりと授業で勝負し、何が必要なのか熟慮しなければならないはずだ。
そして、中学年、高学年になるに連れて、宿題をバカみたいに増やすのではなく、子どもたち自身のものになるようにシフト転換しなければならないのではないか。だからこそやっぱり、先生は授業で勝負して、一人一人に合うような課題についてのアドバイスができるようにしなければならないと思うのだ。
授業をしっかりと構想して、その中での子どもの姿から様々なことを見取ってこそ、家庭学習につながっていくのである。
家庭学習はあくまで家庭学習。家庭学習で行ったことは家庭内でしっかりと確認・振り返りをさせ、学校に丸付けを持ち込むべきではない。
先生方は、もっと授業に目を向けるべきだ!