今日は「遊び」について記事にしたい。
よく「遊んでばかりいるな」「うちの子は遊んでばかりいる」と大人はいう。そういう大人だって本当は遊んでばかりいるだろう。
そもそも「遊びとは何か」と考えた時に、フランスのRoger Caillois(ロジェ・カイヨワ)氏の研究が実に興味深い。
カイヨワ氏の『遊びと人間』には以下のことが記されている。
まず遊びの定義として、次の6つの特徴をあげている。
- 自由意思にもとづくもの
- 他の行為から空間的にも時間的にも隔離されるもの
- 結果が未確定なもの
- 非生産的なもの
- ルールが存在するもの
- 生活上必ずしも必要とは限らない
そして、そこから遊びを4つの要素に分けて分類している。
- アゴンAgon (競争)
- アレアAlea (偶然)
- ミミクリMimicry(模倣)
- イリンクスIlinx (眩暈)
また、それぞれの分類においても、遊び「ルール」によって2つの性質(「ルール」が単純なものを『パイディア』、ルールが複雑なものを『ルドゥス』)に分けて考えている。『パイディア』であればあるほど、ゲームの本質をついており、『ルドゥス』になればなるほど恣意的だが強制的で窮屈な縛りを持ち得るものになってくる。
それぞれの例を挙げてみると、
アゴン(競争)
…パイディア(単純)→かけっこ 取っ組みあい
ルドゥス(複雑) →100m走 格闘技
アレア(偶然)
…パイディア(単純)→じゃんけん
ルドゥス(複雑) →賭博
ミミクリ(模倣)
…パイディア(単純)→ままごと
ルドゥス(複雑) →演劇
イリンクス(眩暈)
…パイディア(単純)→ジェットコースター
ルドゥス(複雑) →登山
このように考えると、ただ単に「遊び」と括れるものではないということが分かる。
「ままごと」=「遊び」である。
「パチンコ」=「遊び」である。
でも、
「ままごと」=「パチンコ」とはならないだろう。
「ままごと」≠「パチンコ」であることは明らかだ。
そして、幼少期における「遊び」は社会性の形成につながっているものであり、そもそも「遊び」こそ、生きていくことに不可欠な資質がベースとなっているのだ。
競争心はアゴンと繋がるし、判断力はアレアに繋がるだろう。模倣欲求自体、人間の本能と言われているし、バランス感覚はイリンクスに由来するだろう。
幼稚園の学びは遊びてあるし、また小学校においても(とくに低学年では)遊びを大切な学びとして学習指導要領にも記載されている。
考えるべきことは「遊んでばかりいるな」ではなくて、自分の子どもが、「どんな遊びをしているのか」について深く見ていくことなのではないか。