特別教育支援員が配置されている学校は多いだろう。その名の通り、特別に支援が必要な子どものための職員だ。
それぞれの学校によって活用の仕方は異なっているだろう。
私の勤務する学校にも支援員がいる。勤務校の場合は、通常学級において支援を必要としている子どもを中心に入ってもらっている。
特別支援学級もあるのだが、在籍人数を考えた時に、担任による指導で十分行き届いていることもあり、通常学級での支援をお願いしている。
支援としては、学習面はもちろん生活面においてもきめ細かく見ていただいており、とても助かっている。
学校によっては、とてももったいない活用の仕方をしているところもあるようだ。「特別教育支援員」だから「特別支援学級」のためにしか活用しないというような、浅慮な考えのところが多いのも事実。
確かに特別支援学級は、支援が必要な子どもが多いのも事実であるため、それは間違っていないのもある。でも、特別支援学級の子どもは、そもそも特別に支援を受けているため、できることも多いというのもある。専門の先生が担任をしているはずだからだ(しかしながら、指導力や資質の問題があり通常学級で担任をすることができないため、特別支援学級の担任にさせられている先生も少なくないのは大きな問題だ)。
ここで逃してはしけない視点は、「通常学級にも特別な支援を必要としている子どもが少なからずいる」ということだ。
通常学級は定数が多いため、その分特別支援学級よりも人数が多いのが普通だ。そして、人数が多い中に、特別な支援を必要とする子どもがいるのだ。だから、どうしても埋もれがちだし、その子どもに目も手も行き届かないのも仕方がない。じゃあ、そのような子どもには、誰が支援をしてあげられるのか。
そこに、支援員が入ってくれると、とてもありがたいのてある。
「インクルーシブ教育」とよく聞く。
中教審、初等中等教育分科会、特別支援教育の在り方に関する特別委員会による、「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」の概要によると、
障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。
つまり、障害の有無にかかわらず、合理的配慮のもと、みんなが共に学べるようにしていきましょうということだ。
まだまだ、「通常学級では一緒に勉強するのは難しいから、特別支援学級にいかせましょう」という考え方が蔓延っているのが事実だろう。
でも、これでは支援員の効果的な活用など程遠いことである。
結局はものの見方や考え方だ。先生たちの考え方を改めていかないと、救われる子どもも見逃されてしまう。
ただでさえ、支援員のなり手は少ないという。そりゃそうだ。講師だってたりない。そもそも教員じたいがたりなくなっているのだ。
このままでは先に進まないだろうな。これまでと違い、みんなが特別支援教育というものを考えていかなければならない時がきていると思う。