悲喜交々。意味は、「悲しみと喜びが入り交じっているさま」「悲しみと喜びを同時に、また代わる代わる味わうこと」。誤用が多いらしく、本来の意味は、あくまでも1人の心の中に喜びと悲しみが存在しているときにのみ使われるという。
今の私の心境がまさに「悲喜交々」かなと思う。
教員採用試験の結果がでたという。勤務校からも数名の講師の先生が二次試験の結果待ちをしていた。
この講師の先生たち。とても気持ちのよい先生であり、よく動いてくれる先生だ。いつも謙虚で、大変なことも率先として取り組んでくれる。いわば即戦力。そのへんのBBAよりずっと先生として働いている。
授業力や指導力は確かにこれからかもしれないが、誠実さと懸命さでそれは十分にカバーしている。
だからこそ、みんな合格してもらいたかった。県のためには絶対に必要になる先生だとも思うくらいだ。
でも、社会は時に非情だ。やはり全員合格ということはできないらしい。
「合格しました」と報告してくれた先生。私も自分のことのように嬉しかった。がんばっている先生を認めてもらえて嬉しかったというのもある。心から喜んだ。
でも、一方、残念だったという結果もある。逆に心から悲しかった。「あんなにがんばっている先生なのに」と、悔しささえ覚えた。
心から喜びたいのに、心から喜んではいけないような、とても複雑な心境だ。とても悲しく、でも合格した先生には心から喜んであげたく。
残念だったという先生のせいということではない。彼も本当によくがんばった。空き時間は先生方の授業を参観しながら勉強していた。分からないことがあった時は、申し訳なさそうにしながら、私にも質問してくれた。
でも、これは仕方がないこと。残念だったという先生はどこか足りないところがあったのだ。
ぜひ腐らないでほしい。まだまだチャンスはあるはず。私は心から応援する。