授業についての相談を連日受けている。
昨日は5年生、今日は6年生。
管理職に授業を相談するというのは、結構勇気がいることじゃないかと思う。私は、管理職にどころか、同僚にもなかなか相談できずにいた。それで何度失敗し、後悔したことか。。
でも、勤務校の先生方は臆せず私にいろいろと相談しにきてくれる。私に限らず、教務主任や研修主任にもどんどん声をかける。怖れはあるのかもしれない。でも、とにかく、モヤモヤをときたいということだろう。そして、「あー、すっきりした」とか「勉強になった」といってくれる。
本当にこんな集団は初めてだ。手前味噌だが、勤務校の子どもたちは幸せだと思う。
今日も私と教務主任と研修主任で6年生の担任の授業についての悩みを聞き、語り合っていた。私は目一杯授業をすることができなくなった分、授業について語るのが楽しくて仕方がない。だからこそ、今は必死で勉強している。これまで以上に勉強している。
でも、そう思っているのは私だけではないようだ。
今日も1時間以上話していたかもしれない。その分、仕事が止まってしまう。6年生の担任のためにと、みんなが時間を割いてくれている、、、と、思いきや、研修主任が、「こういうのって楽しいですよね」と話す。
目の前にいる先生方は、嫌々授業を語っているのではなく、主体的に話し合いに参加し、それぞれの思いを交わしながら対話し、一つの授業を深めているのだ。これこそが「主体的・対話的で深い学び」だなと感じた。そして、この研修主任の言葉がとてもうれしかった。
教師集団が学びのモデルだ。これは理想的であり、この理想が成立している。教師が「主体的」でなければ、子どもだって「主体的」にならないだろう。教師が、同僚や自分自身、子どもたちと「対話」しなければ、子どもたちに「対話」は生まれない。そして、このように教師がチームとして自分事の関わりをしているからこそ、研究が深まるように、子どもたちにもそれが伝わっていくのかなと感じる。
勤務校の組織力は最強だ。勤務校の強さの原点はここにある!