新米教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

俺は女か?

ある俳優と若手女優の不倫報道が世間を賑わせているようだ。
その中で見かける、
「男は不倫する生き物だ」
「浮気しない男はいない」
「男ってみんなそうだ」
という言葉。

かなり違和感がある。

確かに、不倫する男が一定数いることは確かだと思うが、本当に不倫しない男はいないのか。そして、女はどうなのかということ。

まずは、私は不倫していない。する気もない。
それは、まず、不倫する勇気がないのだ。そんなに話好きでも話上手でもなく、二人きりになったら緊張してしまい、おそらく不倫どころではない。緊張して、気を遣ってまでするものではない。それに、わたしはとっつきづらいと思われているらしく、まず不倫相手に選ばれることもないと思っている。

でも、男は全員不倫するということだったら、私は男ではない。


それに、『男は』不倫するということについて、おかしいと思うこともある。不倫とは、男と女でするものである。つまり、不倫する男がいるということは、不倫する女だっているということだ。今回の報道にあがっている2人だって、男も女もいて初めて不倫なのだ。ということは、男だけで、不倫することはできない。

男はみんな不倫するということならば、女だって不倫するということなのではないか?


しばしば「男は・・・」とか「男なんだから」とか、逆に「女は」「女なんだから」という決めつけをすることがあるがらもう、そんな時代ではないのではないか?

「代表は男がやるべき」とか「男なんだから泣くな」とか。小学校教員は女性教員が多数を占めているのに、研修会での発表者は「男」ばかりやらされている傾向がある。私も女性に「男なんだから発表者をお願い」と言われたことがある。もちろん、全力でその論を否定し、ちゃんと平等に話し合いのもと決めた。それが女性教員の地位のためにもなると思ったから。都合のイイ時の「男性なんだから」と都合のイイ時の「男女平等なんだから」は納得がいかない。
逆に、「家事は女がやるべき」「女が子育てをする」もおかしいだろう。


男女の違いはあるが、それは区別であり、差別ではない。「男は」とか「男なんだから」とか、「女は」とか「女なんだから」は差別を引き起こす。「男でも女でも関係がない」ところはちゃんと平等に捉えるべきであり、性的なことはちゃんと区別するべきだ。だから、「今だけ男になる」などといって男子トイレに平気で入ってくるババァは犯罪者である。

男だって不倫する人がいれば、しない人だっている。女だって不倫する人がいれば、しない人だっている。ただそれだけなのではないか?

差別を喜んだり、話題にして楽しんだりしている一部の人のせいで、本当の男女平等は生まれない。

軽々しく「男は」「女は」を使わないでほしいものだ。