しがない教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

先生も自覚化する必要がある

ある先生が、道徳で『花をさかせた水がめの話』という教科書題材を用いた授業をし、その中での子どもの様子を学年だよりで書いていた。

自分の良くないところを考え、そこから、自分の良さとしてその良くないところを捉え直すという授業のようだ。

子どもたち自身が自分を見つめ直し、またそのために思考したり議論したりする様子が生き生きと書かれていた。

この授業内容はいわば「リフレーミング」である。

でも、その先生は「リフレーミング」という自分の授業でのテーマ(?)を自覚してはいないようだった。


もし、この先生が「リフレーミング」という言葉と意味、そして、それを自分が実践しているという事実を自覚化していたとしたら、学びの意義付けがより明確化するだろうなと思う。


このようなことが本校においては、しばしばある。教員として主体的に学ぶ先生が多い集団だからこそ、何気なく進めていることや実践していることが、本質をつくようなとても意義あることであることが多い。

今年度の生活科、総合的な学習の時間の研究でも見られた。生活科や総合を研究している学校は少ないため、もしかしたら今年度初めて本格的に、また学校として生活科と総合を研究した先生もいるだろう。だからこそ、「なんとなく」単元構想をして、授業を考え・・・となっていた先生も多いだろう。でも、先生方の実践を見てみると、本当に生活科、総合の授業つくっていた。子どもの思いを大切にしながら、生まれた問いを基に授業がつくられていた。

ここに、自分の実践を生活科、総合の意義やねらいなどと合致しているということをもっと自覚化していれば、より深い研究になったかなと贅沢にも思ってしまう。

もっと、自分のしていることを見つめてみてほしいなと思う。