しがない教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

「察する」ということ

「今までの文化では、そういうのがなかったので、分かりませんでした。(だから、提出が遅れます。)」

教育課程編成も仕上げの時期。それぞれの直しが入り、起案されてくる。

でも、例の先生からは起案されてこない。

冒頭の発言は、どうやら、今朝起案する必要性に気付いたらしく、言い放っていた一言であった。「これまでの学校では、起案という文化(風習)はなかった、だから、それを教えてくれないとできない」ということだろう。

「学校文化」という言葉を使うのであれば、自治体や地区に限らず、同一市町村においたとしても、違って当たり前である。だから、「文化が違うから」という理由をもち出すのはおかしい。

この先生以外にも、他県や他地区から異動してきた先生は多いため、みんな「文化が違うか」のだ。でも、どの先生も、自分で周りを見て、感じて、聞いて、教わってってしながら、仕事を進めているのだ。


教員に限らず、仕事というのは、1から10まで教えてもらってやるということはなく、広い視野をもって状況を見て、考えて、判断をするということが必要なのではないかと思う。それが「察する」ということなのだと思う。「察する」ためには、自分で考えなければならないし、同僚と協力しなければならないし、何より、仕事を覚えようとか、がんばろうと謙虚な気持ちをもつことが大切だと思う。


でも、職員会議で寝ていたり、何かにつけてネガティブに文句ばかり言っているようでは、「察する」なんてことはできないだろうな・・・。