しがない教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

見捨てるとは違う いい意味で諦めるということ

使命感、正義感、指導感が強い先生がいる。

例えば、「宿題や課題は絶対にやらなきゃならない」とか、「親の役割は絶対にやらせたい」とか。それができないと、どんなに厳しくしても、やらせるという先生。

思いは間違っていない。「その子をなんとかしたい」というのもあるだろうし、「他の子どもはしっかりやっているのだから、ズルいのは許さない」というのもある。


しかし、それが時に自分を苦しめることもある。親とのトラブルにもなり得るし、親の信頼を失うこともあり得るし、子どもが学校を嫌がることもあるし、楽しく思ってくれないというのもある。

その対応や、そのこと自体に気がいってしまいすなることによるストレスを感じてしまうこともあるだろう。


私なんかは、「そういう子がいても仕方がないな」とか「そんな親もいるから、しょうがないな」と諦めてしまっていた。

それがダメなことかというと、私はそうではないと思っている。それは、そのこと自体が、その子どもや親の「特性」なのかもしれないのだ。また、それがその家庭にとっての「環境」なのかもしれないのだ。

「特性」や「環境」は私たちには変えることはできない。それを直すことや正すことは強制できないのである。

だったらどうするか。それは、無理にやらせることではなく、「その子にとって何ができるのか」、「どこまでなら親に協力を求められるのか」を考えるしかないのだ。そして、それらも裏切られるのが常なのである。だから、「だったらしょうがないな。じゃあ、こうするしかないか」と、いい意味での妥協や諦めの連続なのである。


どうしてそう私は思えるようになったのか、冒頭で挙げた先生はそう思えるないのかの違いは、やはり学校規模だろうなとも思う。

30人もいる学級では、少なからずそのような特性がある子どもや、そのような環境で育っている子どもがいる。クラスに5人もいたら、諦めるしかないのだ。その子どもたちに無理してでもやらせようとすると、他の子どもがほったらかしになってしまうのである。

でも、今の学校のような小規模校だと、そのような指導ができてしまうのだ。地区の特色として、小中学校はすべて小規模校であり、クラスの人数も多くて10人前後である。大規模校の経験がないため、いい意味での諦めができないのだ。

決して見捨てるというわけではないんだけどなぁ。
もっと自分も子どもも親も楽になれる方法をとれるようにしたほうがいいのだが。。。