しがない教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

特別支援の子どもの命を守るのは

本日の記事は、特別支援の要する子どものことについて書いてある。その子どものことを否定しているつもりもないし、その子どもや家庭の問題点を伝えるつもりでもない。ただ、私自身感じた(見えてきた)、今後の個人的に考えるべき課題について備忘録としてメモしようと思い、記事にする。

記事を読む前に、嫌な気持ちになりそうだと感じたら、ここで記事を閉じてほしい。








本校には特別支援学級がある。そこに所属している子どもは数名いるのだが、その中に、中度の知的障害であり、結構重めのASDの子どもがいる。特別支援学校適の子どもであり、正直小さい町かつ、特別支援学校の免許をもたない教員が担任をしている本校の特別支援学級では指導が困難な子どもだ。

音に敏感であり、そんなに大きな音ではなくても、落ち着きがなくなり、イヤーマフ無しではいられない。救いは、周りの子どもたちがその子どもの存在をしっかりと受け入れているということだ。


今日は、避難訓練があった。火災想定の訓練であるため、火災報知器のブザーを鳴らさなければならない。しかし、大きな音がなるため、事前に知らせておく必要があるとのこと。でも、「今日はブザーがなるよ」と知らせても「ブザーはなりません」とそのこと自体を否定してしまうという。何回も言い聞かせても「ブザーはなりません」となるらしい。それからは1日中落ち着きがなかった。放送の声もダメになってしまったらしく、放送がなった途端大騒ぎをしていた。

案の定、避難訓練の全体会でもずっと騒いでいた。


この状態を見た時に、「この子どもは、他の子どもに比べると、近況時に生き延びられる確率がぐっと下がってしまうな」と思ってしまった。火事や地震の時は、いつも以上に落ち着かなければならない。でも、ただでさえ落ち着くことが難しいのに、この子どもは普段以上にパニックになってしまうのだ。落ち着いて避難することが難しい。実際に火事や地震が起こってしまったら、絶望的かもしれない。そして、それを指導する教員の命も危険にさらされてしまう。「自分の命を守れない人は、人の命を救えない」というため、そういう場合は、申し訳ないが見捨てて逃げる必要が出てくる。


先にも述べたが、その子どもを否定しているのではないし、悲観してはいけない。だが、そういう事実はしっかりと受け止めなければ、その課題に対する対応もとれないだろうなと感じてしまった。

命を守るのは自分自身だ。でも、特性によってはそれが難しいこともある。そういう時に、学校任せにするのはとても危険だということである。やはり、家庭が自分の子どもの実態を捉え、それをしっかりと認め、できる対応をしっかりとるようにしておかないと、大切な子どもの命を守れなくなってしまうかもしれない。

学校では、学校でできることを、可能な範囲で考えていくことしかできないのだ。