しがない教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

子どもに寄り添うとは

6月の上旬ころのこと。そこまで暑くもないのにすぐにエアコンをつけているクラスがあった。
今年度は7月いっぱい1学期になることが決定し、例年よりも10日近く1学期が伸びることになる。つまりは、暑さが増す時期にも教室で学ぶ時間が増えるということだ。
今の暑さに慣れることをなくして、猛暑に耐えられるのかと心配になった用務員さんが、そのクラスに『まだ早いんじゃないの?今からつけちゃうと、暑さに慣れないよ』と声をかけたという。養護教諭も同じように思っていたらしく、担任に声をかけると、担任は嫌な顔をして養護教諭に「子どもたちが暑い暑いというんです!」「そもそも、用務員にいわれることに納得がいきません!」と返した。

その先生、実は今は四面楚歌。なにかあると、「誰々が言ったから」「子どもたちが求めている」と人をもちだす。「人に言われたから仕方なしにやっているんだ!」といいたいのだろう。それが、「子どもたちにいわれた」ということが特にやっかいで、その先生は「子どもたちに寄り添っている」と勘違いしているように思える。

その先生はいつも、子どもたちが「やりたい」といえば、「思いを叶えてあげている」といい後先考えずにやっていまうし、子どもたちが「やりたくない」といえば、「思いや願いに寄り添ってあげなければ」と、やめてしまう。

でも当の子どもたちは、その先生がいないところで「◯◯先生には、『えぇー!』って声をあげれば、やめてくれるんですよ」「僕たちが何か要求すれば、何でも聞いてくれるんですよ」と、他の先生の前でいってしまうほどに、なめられてしまっている。。。

そんな先生が「特別活動」専門の先生なのだというのだから始末悪い。


「寄り添う」とは「要求を聞き入れること」ではない。思いや考えを受け入れ、共に考えていく姿勢で接することである。「子どもたちのためになっているか」が抜けていれば、それは寄り添っていることにはならない。ただ、子どもたちに「嫌われないように」というその先生の恐れしかないのだ。それは子どもには悪い方向に伝わる。そしてなめられるのだ。
現に、前の学校でも学級崩壊を起こしていたとのこと。悪循環だ。


「受容(その人の思いや考えを受け入れること)」と「許容(その人の行動そのものを正当化すること)」を間違えてしまうと、そういうことになってしまいかねない。我々に必要なのは「受容」であり、「許容」ではない。特別活動を一生懸命にやっているのなら、それが一番大切なベースだということがわからないといけないと思うのだが・・・