漢字ドリルや計算ドリルの進捗状況を表にしてシールを貼り、可視化している学年がある。
上と下は違う学年。
何か気になることはないだろうか?
そう、上はやっていないところが多い子どもがいる。
逆に、下はやっている子どもが多い。
なんのために可視化させるのか。
一番の目的は最初にあげたとおり、進捗状況の確認だろう。
しかし、それに意義を見いだせないからこそ、やらない子どもが出てくるわけだ。
となると、それはただの「見せしめ」になってしまう。
子どもたちの間で、「Aさんは全然やっていない」が自然と広がり、それが序列となりAさんに対して低く見ていくようになる。
ややもすると、それ(見せしめ)が目的かのようにも見えてくる。つまり、やっていない子どもを見せしめることで、「やらなきゃ」という気持ちにさせるということだ。
しかしながら、それが意味をなさないから、上の画像のようになるのだ。
それはなぜか?
それは、そこに指導者の手立てや働きかけが入らないからである。
できない子ども、やらない子どもは、「できない」からできないのであり、「やれない」からやらないのだ。いくら表にして可視化しても「できない」し「やらない」のだ。となると、ますますその子どもの自尊感情は低くなり、「どうせ僕は(わたしは)できないから」という気持ちが育っていってしまう。
じゃあ、下の画像の学年はなぜほとんどシールが貼られているのか。
「できない」子ども、「やれない」子どもがいないからなのか?
決してそうではない。集団として、また一人一人として見てみると、上の画像の学年の子どもたちよりも、家庭での学習習慣がついていない子どもや家庭環境に恵まれていない子どもが多い。
では、なぜできるのか。
簡単である。
そのままほったらかしにしていないからである。
できなそうな子どもややれなそうな子どもに、声をかけ、励まし、少しでもできたら褒め、時には一緒に取り組み、、、そんなことをしながら「できる」「やれる」を経験させてあげているのだ。
決してできない自分を感じさせることなく、また、できない友だちを見せしめることない。だからこそ、自尊感情が育つ。
そんな指導ができているのが、まだ4年目の若手教員なのだから、すごい。
なんにしても、やるからには、子どもにとってプラスになること、つまりよい変容が見られることをやらなければ意味がない。そんなことも伝えていかなければならないのだろう。