しがない教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

それは本当に愚痴、文句なのか

持久走の季節。
体育の授業が持久走となる。おそらくあるある。「えぇーっ!」という怒号。「持久走やだ」というシュプレヒコール(?)。まあ、楽しいほかの体育の内容と比べると、持久走は明らかに苦しいためある程度は仕方がない。


持久走に限らず、時として子どもたちの愚痴や文句、つまりは声に出した不満が表出される時がある。
それを「うるさい」と突き放してよいものか。また逆に「わかった」と許容してしまってよいものか。

本校は超小規模校であるが、この「突き放し」も「許容」もどちらも見られる。それは、学級経営に確実に悪影響となっている。それは間違いない。


なぜ、それが悪影響なのか、それは簡単である。その突き放しや許容に「子どもたちの思い」がないからである。愚痴や文句を言われた教員側が「腹立たしさ」や「子どもたちへの遠慮」を感じ、それに応じた「教員の感情」しかないためだ。となると、結局どちらも学級経営によい影響として繋がるはずはなく、逆に学級崩壊に繋がる可能性のある危険な対応だ。


子どもたちのその愚痴や文句の裏の思いを探ってみることが大切であり、それに寄り添った冷静な対応が必要なのである。

まず、その愚痴や文句。どんな思いで発せられているのだろうか。私は4つに分けられるかなと考える。

まずは、「単なる拒絶」である。ただ単に「それが嫌だ」「それをやりたくない」という単純な思いである。例えば、持久走がやりたくないから「えぇーっ!」と発してしまう。人間らしい反応である。それにただ怒って返すのは単純な不満のやり取りになるだけで、根本的な解決にならないことはすぐに分かる。

2つ目は、「関係性ができているからこその慣れ合い」だ。子どもたちが担任にある程度の信頼をもっていれば、「このくらい言ってもいいだろう」という慣れ合いが出てくる。「そんなに嫌じゃないけれど、『えぇーっ!』って言ってみよう」という言わばコミュニケーションとしての発言だ。これも、ただ怒って返してしまったら、信頼を崩す原因になるかもしれない。

3つ目は、「先生を試している」のかもしれない。この先生にはどこまで言ってもいいのかという探りを入れている可能性もある。先生との繋がりを探っているのかもしれない。この場合は、逆に我々教員側が子どもたちに見取られているのだ。やはりただ怒って返すことにより、先生の見取りが深まり、逆に都合よく子どもたちに操られることになる。


最後は、「先生に叱ってほしい裏返し」だ。「許容」が広まっている学級で特にありがちだが、何でも許してくれてしまう先生に対する不満である。子どもたちは、何でも許してくれる先生が好きなわけではない。自分たちをしっかりと正しい方向に導いてほしいと思っているのだ。だからこそ、真剣に納得するように叱ってほしいのだ。


子どもたちが不満を表出しているうちはまだなんとかなる。それが見えなくなった時、それはもはや学級崩壊状態だ。それをしっかりと見取り、それに寄り添い、学級経営に生かしていくようにしたいものだ。