しがない教頭の学校・職員室・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

「去年はそれで通ったのに、どうしてダメなのですか」【現状維持は衰退】

今年は企画調整力が問われる年であり、その力の有る無しでその人自体の能力が見られるといっても過言ではない。

体育主任の話。今年度、かなり苦しんでいる。いや、本人はそんなに苦しんでいないのかもしれないが、七学年ほか、学年の先生方が体育主任の姿勢にかなり不満を抱いている。

運動会、例年だと5月に開催されているが、今年度はこのコロナ禍ため、10月に延期された。延期されただけならそんなに大変ではないのだが、なぜ10月にしなければならない状況なのかを考えれば、コロナ対策が必須であり、内容の精選や時間短縮が不可欠に附随してくる。それらをすべて踏まえて起案しなければならない。企画調整だ。

でも、あがってきた起案は、去年の文書を日付を変更したのと、PTA種目・来賓種目をなくしただけであった。そうすれば、午前中で終了できると考えたようだ。15分以内などという時間の条件だけしか提示せず、詳しい内容についてはすべて学年にお任せ。そんなだから、各学年では戦々恐々としていた。しまいには本番では体育主任の学年の種目時間が一番延びていたという最悪の自体。運動会自体も予定の時間に終わるわけもなく、40分も遅れて終了した。
反省でも、「この位の延びなら大丈夫なのではないか」と体育主任が言ってしまう始末。感覚が違う。


思えば、この体育主任。様々な起案が昨年度起案のままで出してくる。ひどい時は日付もそのまま。何も考えていないのだ。
当然ながら、起案には質問事項や訂正、差し戻し等ある。

この先生から「昨年はそれで通ったのに、どうしてダメなのですか?」と批判された時がある。「なんで自分の時ばかり起案が通らないのか」ということだろう。

それは、「考えていない」からである。今年度の状況や児童・学校の実態等を考えた上での現状維持は、現状維持ではない。でも、日付を変えただけでは現状維持だ。何も考えていない現状維持だからこそ、先生方の質問攻めにあうし、不満が募っているのだ。

彼の担当の行事では、まとめられた反省は袋叩きにあっている。でも、「自分ばかり言われる」とでも思っているのだろう。


前にある先生に言われたことがある。
『現状維持は衰退だ』

学校としてはもちろん、その先生自体の人となりも衰退してしまう。何も考えられない、やれといわれることしかやれない主体性のない人になってしまうだろう。


今月末にその先生(6年担任)の研究授業がある。
先日、指導案が研修主任にあがってきたのだが、なんと、去年の6年生担任がやった研究授業の指導案をあげてきたのだ。日付以外はほぼ一緒。児童観まで一緒。

流石に差し戻されたが、もしかしたら「去年はそれで通ったのに、どうしてダメなのですか」と思っているかもしれない。

確実に衰退している。